良い人がいたら助けてください

自分の気持ちをブログ名にしましたが、どうしたら自分が満ち足りた気持ちで生きていけるようになるのかを明記し、このような方に助けてほしいという具体的な希望も挙げております。不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。ブログ名のとおり一度読んでしまえば後味のいいものではないのですが、私としては、そこは気にして過ごしてくださったり「読んだから何かしなきゃ」と思って頂いたりする必要はありません。ご安心くださいね。ネットを楽しまれているところ急にリアルな重い話が目に入ってしまうので、びっくりさせてしまうかもしれません。

1.このブログにつきまして

伝えたいことを伝えようとしてしまって、このブログの文章は、全体的に冗長になってしまっております。それがきつくなってしまうこともあるかと思うのですが、読んでいて大丈夫そうだったら、読んでいってください。



自分はSNSもやっておらず、初めてブログをします。誰にでも親しみを込めて呼んでもらえる願いを込めて、名前を「はな」とします。

このブログを立ち上げる勇気を出すまでに、「自分は人に助けを求めていい立場なのか」「甘えではないか」と苦しみながら悩み抜き、今日まで半年以上もの時間がかかりました。
一人でこんなにがんばったんだからもう人に助けを求めていい、「人様にご迷惑をおかけするのはいけないことだ」というプライドは棄てるんだ、溝に落ちた猫が鳴き声をあげるように、自分はここにいて困っているということを声をあげて知ってもらうんだ、それはいけないことじゃないんだと、何度も言い聞かせました。


もう少し、自分への言い聞かせの話を続けます。
ヤフーニュースで若い人の自殺のニュースが出たときに、コメント欄で
「そんなにつらいなら助けてやりたかった」
「自分に相談してくれれば……」
というコメントが多くついているのを見ました。
そして介護自殺のニュースでは、
「明日は我が身だ。こんな人たちを救済する術こそ必要なのではないか」
というコメントを多く見ました。
また、(ネタバレになってしまうのでタイトルは伏せますが、)戦中と戦後を舞台に描いたあるアニメ映画で、「主人公は助かるチャンスを逃し続けてしまったけれど、どこかで周囲に助けを求めればよかったんだ」という感想を抱きました。

そういった、他者を助ける気持ちやそんな余裕のある人とつながりをもつにはどうしたらいいかを考えたら、私にはこれしかありませんでした。この方法が、私には社会とつながりをどうにかやっともてる、SOSを発信できる、大切な窓口でした。
私は今、しんでしまいたいと思うほどにつらいです。
若いときから父の介護をするなかで、辛抱をし続け、そして、孤立し孤独になってしまったからです。
ある時期からは、家族の一人の強い希望で、要介護の認定を取ることと、ケアマネージャーさんをつけることをやめてしまいました(社会から孤立していることがうかがえる記載は、そこにつけ込もうとする人から狙われやすくなってしまうと思いますが、犯罪に巻き込まれるつもりはありません)。
かといって、私が母に父を任せてすぐに家を出るということができない事情があります。

たいへん暗くなってしまっている私が一瞬で元気に明るくなり、本来の笑い上戸の性格に戻ることができ、この状況を解決もできる方法があることを、私は知っています。人を愛することです。無条件にではなく、私にとってとびきり素敵な男性と、結婚に結びついていると実感のできる恋をして、家族にも立派な男性だと安心をしてもらいながら介護の引き継ぎを進め、実家を出ることです。

今は東京から新幹線を使うような距離の実家におりますが、
介護の問題が片付き次第、東京が好きだという理由で東京かその周辺に移住することをずっとずっと、このつらい生活のモチベーションにして生きてきました。東京の土地勘ならありますが、「向こうに婚約者がいる訳でもないのに」と、家族から快く送り出してもらうことができません。私自身も、向こうに着いたら恋人が待ってくれている訳ではない心細さがあります。そこで、

①今からまめに連絡を取り合って信頼関係を深めていける、心のつながりや、心の支えという言葉を好まれるたった一人の誠実な方が、東京近辺に見つかればと思っております。

②また、真剣に接してくださって味方になってくださる方を全国に探しております。
そのことと、友人をほしいと思うことにどんな違いがあるのかよくわからないのですが、30代のうちに、自分のこの事情を知ってくれている友人をたくさん作っておきたい気持ちもあります。

いずれも、女性と何でもいいから交流を持ちたいという男性のことは当然含まれませんので、下心のある方はご連絡をしないでください。
先まわりして申し上げますが、「東京で泊めてくれる人」を探しているわけがありません。

また、
③このブログが多くの人に気がついてもらえるよう、リンクを貼ってくださるという方を探しているのですが、閲覧数の多いブログを持っているという方にお願いをすれば、念願叶って解決をした際の削除依頼が、私の力でも安心して実現できるほどシンプルになるのかな…とも考えています。お手数ですがまずは必ず、私にメールを送ってくださり、お話し合いをしてくださることをお願いいたしております。

①の件につきましては、3つめのブログ記事(ブログエントリー)にて詳細な考えや気持ちを記載しております。

③の、リンクの件につきましては、5つめのブログ記事にて詳細を記載しております。内容に賛同していただけるかどうか、ほかのページと合わせまして、ご確認のほどよろしくお願いいたします。

②の、味方がほしいという件につきましてらは、私は、このように考えております。

・介護のことや家を抜け出すにあたって、何を助けてもらったらいいのかもわからない
・というのも、自分の家の問題なので自分でやらないといけないことばかりで、問題に介入してもらうことは難しく、アドバイスをもらってもきっと知識をつけるだけになってしまって、言われるとおりには決してできなくて申し訳ない(そのため、「どうしたらいいでしょうか?」というアドバイスを求めているわけではないんです)
・けっきょく、自分のことを勇気をだして話すだけになってしまったようだと感じることも少しつらい
・お説教や、アドバイスずきさんからの過激なアドバイス、私が思いどおりに行動(何もかも置いてすぐに上京)しないことで「愚かだ」「呆れた」「もう勝手にしな」「貴重な時間を割いて何回も何回も言ってあげてるのに」「で、だから?」「それはもう聞きました」「頑固だ」とお怒りになるなど、そのような展開になってつらい出来事を増やしてしまっては困る、と思っていることもあります。(すぐに上京できないことについては、それがどのような事情であっても、ご理解をいただくことが必要になってきてしまいます)


・このようなことから、「人脈をもつこと」「人との絆をもつこと」こそが救いになると考えました



そんな自分でも、この状況やこんなブログを立ち上げることはただごとではない、この子をここで放っておいてはいけないと、ただならないSOSを感じ取ってくださった方はいませんか…?

そして、安心していただきたいことがあるのですが、私は今の段階で実際にしんでしまうことの可能性は低くなっており、これはそのようなことの予告をするものではありません。
人をいたずらに心配させて構ってもらうような「めんどくさい人」になってはいけないとも、ここまできて現状の申告を控えめにしてしまってはいけないとも思っておりますので、事実をありのままに申し上げます。
この10年間の間だけでも「しにたい」という言葉が何万回と、きっと10万回に及ぶ回数ほど頭をよぎりましたが、いたいものやくるしいものが苦手で、頭のなかでシュミレーションをしてみても(人様にご迷惑を極力おかけしない方法ではあります)、しっかりとした想像がつかず、そういったことができない人間なのではないかなと思っているためです。また、どんなにどん底にいるときも、自分に数少ない長所があることを知っており、それが「(こんな長所があるのに)もったいないのではないか、もしかしたら人生でいいことをまだ起こせるのではないか」と自分のなかでひっかかるためです。ほんとうはしてはいけないことだ、とてつもなく悲しいことなんだという認識も当然あります。
でもそれなら、しにたいと思いながら生きるしかありません。それはやはりしぬほどつらいことです。それなら、しにたい原因をつきとめて、解消をするしかありません。解消するには、どんなに滑稽でも、不安で腰が重たくても、雲をつかむような話でも、人と違っても、助けを乞うことができる権利や責任やチャンスを放棄せず、こうやって行動を起こすしかないと思いました。
だけど、ブログ発信のことを抜きにして考えると、「あれ、やっぱりこれ、しぬしかないよなぁ、しぬしかないんじゃないか。こわいだろうな、その瞬間後悔するだろうなぁ、ほんとうにこわいな。何か悪いことしたわけじゃないのに、がむしゃらにがんばってきただけなのに、どうしてこんなつらい思いをしなくちゃならないんだろう。でも今のいろんなことが片付いてそのときがきたら、やらなくちゃいけないんじゃないか。参ったなぁ…」と感じてしまうこともあります。

「自殺をするやつはバカなやつだ」というご意見は、インターネット上で拝見したことがあります。自傷癖はまったくありません。不眠や食欲の増減や過呼吸などの症状や、服用薬はありません。


私のポケットのなかに、今の私にできる、たった一つの切り札があることに気がつきました。
インターネットにつながっている、ほとんど使われていないスマホがありました。それを使って、今の生活の中では本来出会うはずのなかった人たちにSOS発信をすることができるかもしれない。このままでは人生のハンデになってしまう、一人で抱えこんで介護にかけた壮絶な孤独体験や無償の奉仕の時間をもうこの際ひっさげて、「なんて事態だ」と共感をして「この人を放っておけない」と感情移入してくださった方に私の味方に、そして理解者になっていただくことで、人生の財産にかえることでした。
私だけでなくその方も行動を起こしてくださることによって、手もとにあったことに気がついたジョーカーのカードが、初めて効力をもちます。
もうインターネットの中の母数に頼る以外、私には思いつきません。
介護の相談窓口にも、相談を何度としてきました。
もう頼るものがありません。
「つらいよ、くるしいよ。ほんとうに限界だ。でも私が死にたいと思うのは生きたいと思うことの裏返しで、ほんとうは死にたいんじゃなくて、生きたいんだ。あとちょっとがんばれ、あそこまで逃げ切ればきっといいことがある、救われる、もしダメだったらどうしよう、こわいけど、悪いひとがたくさんいる世の中にはいい人もいる、その誰かが気がついてくれる、きっと、ぜったいに、私の勝ちだ!」という思いで、最後のアップロードのボタンを押します。

今見てくださっているこのページは、パソコンやケータイの中の見慣れた文字の形をしていても、私には外の世界とつながっていられる蜘蛛の糸のような存在で、ただならないSOSなんです…。

だけどそこは私の自己責任ですし、「見てしまったからには反応するしかなくなったじゃないか。知らない人なのに」と思っていただく必要は一切ありません(義務感でご連絡をいただいちゃうと、今回の趣旨と異なってしまいますので、私も困っちゃいます)。「そういえば昔こんなことがあってね」と人にお話をされることなく、忘れてください。その方たちの夢見がわるくなってしまわないようにするためにも、やはり回避して乗り越えられるように善処します。

これほど真剣に悩んだ気持ちに免じて、自分のこのブログを見て例え誰かと一緒に笑いたい、批判を共有したいという気持ちになっても、どうかブログ内の文章をコピペして晒すということ(スクリーンショット等も)はご勘弁ください。「このブログ、やばくない?」と、ネット上で共有しようとなさらないでください。「消えたい」という気持ちは大勢の人に少なからずあるもので、事件性は、ありません。
それには、いつかすべてが解決して幸せになれたら、人生がさまざまな可能性にあふれた道につながるよう、私の意思ですべてを削除できるようにしておきたい、という理由もあります。そのため、それら(中傷、晒し)以外の好意的な理由での、コピペやスクリーンショットでの記録を残しておくことも、徹底してご遠慮いただきたくお願いいたします。

「今日、こんな変わったブログを見ちゃった」とお知り合いの方にお話しされることも、その方にまで、私の「インターネット上に自分のことを書かれたくない」という気持ちが伝わるとは限らないため、お一人で抱え込ませてしまいすみませんが、お喋りは控えていただければ幸いです。


そして、今回せっかく奮起したことが、縁を望んでいない人とつながる手段になってしまっては、元も子もありません。
私を心の弱っている人物や、真面目な者が損をする生き方をしている者と見て、そこに付け込もうとする人。そうでなくても遊び目的や気まぐれ、軽い気持ちで関わろうとする男性。
宗教やマルチ商法、投資などの勧誘を目的にしている方。
犯罪のターゲットを探している者。
なんだコイツ、中傷してやれなどと思っている人。
そういった人から自分を守らなければなりません。
そういったものに関わるつもりは一切ありません。ここでお引き返しください。