良い人がいたら助けてください

自分の気持ちをブログ名にしましたが、どうしたら自分が満ち足りた気持ちで生きていけるようになるのかを明記し、このような方に助けてほしいという具体的な希望も挙げております。不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。ブログ名のとおり一度読んでしまえば後味のいいものではないのですが、私としては、そこは気にして過ごしてくださったり「読んだから何かしなきゃ」と思って頂いたりする必要はありません。ご安心くださいね。ネットを楽しまれているところ急にリアルな重い話が目に入ってしまうので、びっくりさせてしまうかもしれません。

土曜日を持て余してる方

がいらしたら、よかったらブログを読んで行ってください。今日で1週間なので、初めて見てくださる方がいらっしゃるのではないかと思いました。「もう見たよ!」って方は、すみません。ご迷惑をおかけしたいわけでは決してないんです。


でも特異なことを書いてしまって、私のやってみたことは、正しくはなかったのかなとかえりみるようになりました。文章も整理できていないし、「変わった人」「よくないことだ」「こわい」とたくさんの人に思わせちゃったと思います。検索でのアクセスも見込めないので、次はどんな手を打ったらいいか、わからないです。人生でまだ挑戦していないことがもっともっと探せばきっと何かあるよ、がんばってみよう、と自分に言い聞かせながら、その何かがわからなくて、今朝は少しだけ涙を流しました。気持ちをほっとさせるためにコーヒーを少しだけいただいて、一人ぼっちじゃなくて、とても大切な人とコーヒーを一緒に飲める、夢のように穏やかな日を来させたいと思いました。

私がメソメソしてる間も、お父さんのお腹は空いてしまいます。お家の消耗品は減っちゃいます。息をするだけでお金がかかっちゃう世の中です。がんばらないといけませんね。


読者登録は、そんな「私がここにいてごめんなさい」という申し訳なさのなかで、励みにさせていただいております。

スターも、いつか復活させてみたいです。

6.すべての連絡先です

このブログですが、はじめの、タイトルに「1.」と入っている記事から順番に読みすすめていただくことで、内容を把握していただけるものになっています。
リンクは貼らず恐縮ですが、「1.このブログにつきまして」というタイトルのブログ記事からお目をお通しください。



連絡先を記載いたします。

i.save.s.from.the.darkness☆hotmail.com
☆のマークのところを、アットマークに変えてください。
ハンドルネーム「はな」


※メールをいただいても、(直感で「このままご連絡を取り合っても、自分とはどこかですれ違ってしまう」と)そのなかに何かを感じた場合は、心のなかで「ありがとうございました」と一礼をして、お返事をすることをそっと差し控えることがあります。また、勝手なお話ではありますが、ご挨拶をしたうえで、やり取りを辞退させていただくこともあります。どちらも、ご本人の人格を否定するものではありません。追いかけず、どうかそっとしておいてやってください。それまでのメールのやり取りは削除をしていただければ幸いです。人を選ぶようなことをして申し訳ありません。

※人物像の見えてこない方へのお返事は、やはりちゅうちょをしてしまいます。お返事がしやすくなるよう、できる限りどんな方なのかわかることを、ひとつめのメールでお教えいただきたく願います。住んでいらっしゃる場所に関すること、年齢に関すること、ご職業、そのほかできるだけのことを教えてください(それ以降のやり取りでも、ご自身のことをお聞かせください)。されているブログやツイッターのアカウントがあれば、お教えいただきたく思います。

※ひとことのメッセージは、トラブルを避けるため、すみませんが、募集いたしません。

※今後私が、アフィリエイトというものを難しいとは思いますがもし勉強することができた場合、その記事を書かせていただくことがあるかもしれません。その際は、この孤独な生活の中でせめてもの支えになってくれた、アマゾンさんで購入できる介護グッズや日用品や食べ物、漫画かアニメか音楽の作品などを、メーカーさんや作者さんへの感謝を込めて、誠心誠意いたします。家事や介護のノウハウとしてためになる、読んでいるだけで楽しくなる記事にできるようがんばって、上京の資金に大切に充てさせていただきます。もしそのことがご不快な方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。



ここまで読んでくださって、気力や体力を使ってしまったと思います。がんばる力を、生きることに使うようにいたします。長い時間おつきあいいただきまして、ありがとうございました。

5.ブログのリンクを協力してくださる方へ

このブログですが、はじめの、タイトルに「1.」と入っている記事から順番に読みすすめていただくことで、内容を把握していただけるものになっています。
リンクは貼らず恐縮ですが、「1.このブログにつきまして」というタイトルのブログ記事からお目をお通しください。



このブログを見て、「このブログを広めてやりたい」と思ってくださった、アクセス数の多いブログを持っている人がもしもいてくださったら、お願いをしてみるべきなのか、それとも内容が内容なので、自分の手で少しでも削除しやすくしておくために、ひっそりと誰かに見つけてもらうのを待つべきなのかと、考えてみました。

私だけの力では、たくさんの人に気がついてもらうことはできません。
やっとここまで行動できたんだから、勇気を出さなくちゃと思いました。

どなたか、このブログへのリンクを、ご自身のブログに貼ってくださるという方は、いらっしゃいませんでしょうか。
でも、恐縮なお願いがあります。
私がブログを消したときに、それですべてネット上から消えるようにしておきたいため、
・念のため、リンク先についての紹介文は最低限のみ
・同じく念のため、リンク記事にコメント欄を設けない(記事ごとに個別の設定がもしできるなら、でOKです)
・そのうえで、リンク先の私のブログを消すことになったときに、リンク記事を、ご紹介の文章ごと消していただく必要があります(なので削除の依頼やしていただく作業が複雑にならないように、できるだけシンプルにリンクを貼っていただきたいんです)(お礼のご挨拶回りをいたします)
…などの、ご面倒なお願いをする必要があります。

もしそれでもいいという方がいらして、「やってみようよ!」と言っていただけるのであれば、
リンクを行う前に私のメールアドレスへご連絡をいただき、私とその件についてのお話のやり取りをしてやってください。




【加筆】その後ブログのことを勉強していくなかで、ツイッターフェイスブックなどでシェアをする機能や、はてなブログでは、はてブというものがあることを知っていきました。拡散ではなく閲覧数だけを増やしたい自分はそれらでのシェアは避けたいと思っているのですが、それらのソーシャルパーツを記事ごとの個別にありにするかなしにするかは、設定することはできないようでした。そこでこのお願いをするには、プロフィールのページ上などでお願いをしなければならず、また、アクセスが多少なりとも流出するという形でご迷惑をおかけしてしまうことにも気がつき、どんどんお話が複雑になってきてしまい、難しく感じました。

自分でも努力をしてみますが、「何か方法がないか、探してみましょう」とお声をかけてくださる方がいらしたら、お願いします。

4.友人の募集につきまして

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また、この機会に友人をもてたらとも思っています。
私の状況を見て心より心配だと感じてくださった方で、誰でもいいのではなく、これまでの私の話で非常に気が合いそうだと思ってくださった方のなかから、これらの条件を満たす方でお願いをしたいと思っています。
・恐縮ながら、メンヘラさんではない方
・何かをがんばっている人
でお願いをしたいと思っています。
その中のごく一部に、「心配だからこそ、宗教やビジネス等のお誘いをしよう」という考えをされる方も世の中にはいらっしゃるかと思いますが、ご連絡はお断りいたします。

また、お近づきになってみたい人は、絵を描くことが好きな人、楽器を演奏することが好きな人です。

ただ、ひんぱんに連絡が取れることをお約束するものではありません。気が合って親しくなれた方とも、できることなら数か月でもはやく上京しなければならないことから、ほんとうに自分が割きたいだけの時間を交友の時間として割くことができないかもしれません。

何らかの理由で、お返事ができなかったときはごめんなさい。

3.このような方はいらっしゃいませんか

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は、たった一人の大切なパートナーと、その子どものために、厳しいこともがんばって生きていきたいと思ってしまいます。(友人や恩人になってくれた人ももちろん大切ですが、そのくらいパートナーのことを大好きになってしまうという意味です)


それは人間に生まれたからには当たり前の愛情だと思っていたので、世の中では私のそれは「重い」ものなのだと知り、驚き、悲しくも感じました。
ですが、それが「メンヘラ」さんではなく「情が深い」であるように、危なっかしいほどのものではないように気をつけるようにしていました。
ですから、相手の方にもそのように、「ちょっと重たいくらいのほうが人間味があっていいよ」などと感じてもらいながら共に歩んでいきたいと思ってしまいます。私のそんな気持ちを、きちんとしている健康的なものだと感じてくれる人がいればいいと思いました。

ですが、その相手は誰でもいいという訳ではありません。

下に書かせていただくことが、恋愛がだめになってしまう要因に結びついてしまうと自分でわかっているので、このような方とお知り合いになる必要がまず始めにあり、たいへん苦労しております。その譲れないことと引き換えに、悩んで、長い孤独な時間を過ごしてきました。
見苦しいかもしれません。こんな私のことが生理的にダメだという人がいることはわかります。ですがたった一度の人生で、たった一人の人を愛し、家庭をもち、子どもを授かりたいという夢を諦める訳にはいかないと思いました。
「こんなことだからあなたはダメなんだよ」と言いたくなる人もいるのだと思います。ただ、自分にとっては大切なことで、どんな人とだったら自分は結婚生活という複雑なものを共に乗り越えるかを考え、真剣に話しているので、そのような気持ちを抱かれた方は、(人のアドバイスに耳を貸すことが大切であることはわかっているつもりですが、)そっとしておいてくだされば幸いです。
「自分は当てはまらないわw」「めんどくせえw」と心の中で思うことは自由なのですが、笑い者にはなさらないでください。
これは、自分の思いとはまったく異なる人ともつながることができてしまう、インターネットのよくない点から自分を守るための自己防衛でもあります(そして、これらのことを演じきっていれば女の人と交際ができるかもしれないというヒントではありません)。

私も、このような方法しかなかった自分がなんだか申し訳なくて、悲痛な思いで書きました。
それでも、女性の幸せは、パートナーに大きく左右されてしまいます。今がんばらなければ、こんどは、「あのとき恥をかいて全力で相手を探そうとしなかったからだ」という声に悩まされることになってしまいます。
自分にとっては当たり前のことでも、言葉に出さなくちゃ伝わりません。
そして私のような人間は、マッチングの場を自分で用意するしかありませんでした。

まずは自分がどんな長所を持っている人なのか、どんなものを相手に与えられるのかを先に書くべきだったのですが、それは、この中や、この次に記載しております。


※これまでのブログ記事で書いてきたように、東京や、東京まですぐに行ける、神奈川、埼玉、千葉、茨城などの県に住んでいらっしゃる方、ということになってしまいます。

※これまでご縁があったのは、連絡が苦手で精神的に自立した女性が好きというタイプの異性であったため、思うように甘えることができず、自分にむりをして、厳しい思いをしてきました。

※私が書いたことが、無自覚に誰かを傷つけてしまっていたらごめんなさい。


(1)自分は真面目な性格なので、同じく「真面目な方」と、がんばったぶんだけ前に進んで報われる、真面目で健全な生活を送っていきたいです。見た目はある程度チャラくてもいいので、中身はチャラくないというギャップをしっかり持っている方。今が楽しければそれでいいなどどいう軽い考え方が、非常に苦手です。真面目の中にある楽しさ(真面目さが嬉しくなって笑っちゃう)を楽しむことが大好きです。

(2)自分は配慮が行き届いていない面が多いものの、優しさが何より大切であると思って生きており、パートナーをもつことの喜びは、心でつながり、相手に優しくできることだと思っています。自分がパートナーから優しくされたときは、つらいことがたくさんあったけれど生まれてきてよかったという、幸せに包まれます。ですから、「パートナーへの思いやりや優しさを大切にしている方」でお願いします(当たり前ですが、結婚の目的に辿り着くまでの一時的な優しさのことではありません)。

(3)社会人として安定を得ている方(ブラック企業にお勤めではない方)で、近い将来に子どもを望む家庭をもつために信頼関係を深めていける方。自分に今とにかく時間がない状態なので、痛みがわかっているからと悩みを抱えている者同士で支え合おうとすると、解決が非常に遠く、解決につながりにくくなってしまいます。今の自分には、力強い力を備えて、東京近辺において待っていてもらう必要があります。

(4)煙草を吸われず、パチンコ、競馬等のあらゆるギャンブルをされない方(自分はもちろんいたしません)。

(5)風俗に行かれたことがない方で、それが自分の意思によるものである方。同じく女性が男性に行ってほしくない場所としてここに書かせていただくのですが、女性がお酒をつくってくれるようなお店が好きではない(=行かれない)方。

(6)私が東京近辺に引っ越せるまでの短くない期間は、長文のメールと、しっかりと会話ができる時間の通話で、お互いの価値観を確認し、価値観の違いの折り合いを付け合っていくことを望んでおります。それらのやり取りを、最初だけでなく、楽しみながら末長く続けられるような方(見た目の相性も大切にしておりますが、それに加えて、その人の文章も好きになる傾向が強くあります。また、長いメールだけではなく、短いメールで同じ時間を共有することもしてみたいです)。「自分の話をするのは苦手」などとおっしゃらずに、ご自身の現在や、過去や将来のことを積極的に話してくださる方。

(7)毎日の連絡を望んでできる、パートナーと通話を含む連絡をとるのが大好きだという方(私自身が、通話とメールでコミュニケーションを取ることが楽しみで恋愛をしたいタイプなので、連絡頻度が減っていくタイプの相手では、ずっとずっと苦しむことになってしまいます)。生活が健全に保てる範ちゅうで、できるだけ連絡でつながっていたいという方を渇望しております。でも、恐怖を感じるような依存はまったく希望しておりません。

(8)恋愛を、追う、追われるの狩猟に例える意識がなくて、恋愛感情を維持できるタイプの方。私は恋愛感情や愛情を出し惜しみせず日々しっかりと言葉で伝えるつもりなので、「安心させない女」でい続けてほしいというタイプの方とは徹底的に合いません。自分は、思い出の年月とともに恋愛感情が日々増していく珍しいタイプで、「女性が追う恋愛」でも「男性に追われる恋愛」でもなく、「かっこいいよね」「かわいいね」と競い合えるようなおもしろい関係が、自分には合っています。

(9)相手をねぎらうために、自分にできることを考えてし合う関係を理想としています。また、尊敬ができる人に恋愛感情を抱くため、「パートナーに対し紳士であることを大切にしている方」でなければ、この関係が成り立たなくなってしまいます。レディファーストなどで尊重してもらえることは、いじめで受ける扱いとは正反対のものなので、涙がでそうなほど嬉しいです。紳士であることは、ほかのこと以上に偽りが容易であるものだとも思いますが、これももちろん、見せかけのもののことではありません。

(10)ご家族やごきょうだいの性格が健全であり、同居の可能性がない方(うちの両親は姉夫婦にただの一度も迷惑をかけたことがありません)。

(11)パートナーが家庭に入ることが可能で、そうしても良いという方(自分なりの考えがあるためです。時代にそぐわないそのご恩の代わりに、私にできる、家庭をしっかり守り、過干渉になりすぎることなく子どもを側にいながら育てるということを、全身全霊でお返しします)。

(12)パートナーなんだから少しでも多く会いたいと、もし時間があえばスーパーに一緒に行くなど、二人行動をしたがってくださる方。

(13)悩んでいるときやつらい思いをしたときに、解決策の提示を求めるのではなく、気持ちを聞いてもらうことや、共感してもらうことを求めているのですが、それを、自分も同じだなどと理解できるという方。その際に、私は長年の苦労から「私なんて」と言ってしまうクセがあるので、自虐話が大丈夫な方でお願いをしたいと思っています。「そんなこと言っちゃダメだよ、言霊になっちゃうよ」と自虐を禁止されるのではなく、自虐を聞いてくれる方と一緒にいて満たされるなかで、自然と言わなくなるようなことを理想としています。また、私はつらい思いをしてきたことが多かったため、暗い話をよくしてしまいます。暗い話を聞くのが大丈夫で、無理やり明るい話をするのではなく、つらいときにはつらいと言っていいという方。私自身、自虐癖やお暗い性格の方を、それを長所として受け入れるタイプです。

(14)私はパートナーに敬語で話しかけることに幸せを感じてします。それが大丈夫だという方でなければ、私の大切にしている個性を閉ざしてしまうことになってしまいます。
また、もし自分と同様に、パートナーに尊敬語や謙譲語で話すことを大切にしているという方だと、敬語の良さを共有できるのでたいへんありがたいです。

(15)小さな約束でも忘れないことを大切にしてくれる、律儀な方(自分自身が、小さなことからでも信頼を得たいと思ってしまうタイプだからです)。

(16)物事に危機感をもち、リスクを事前に想像できる方。例えば個人事情を軽率に扱わないなどですが、親しくなれば会社名をきちんと教えてくださるような、責任感のある方でお願いをしなければなりません。

(17)仕事は大切であるという当たり前のことをのぞくと、恋愛、そして自分自身がもつ家庭の優先順位が一番である方(自分がそうで、用事がひと段落すると真っ先にメールをチェックしてしまうようなタイプです)。

(18)今の私にはお話が複雑になってしまうため、婚姻歴のない方。

…というようなものです。
(11)という項目だけは自分にないものを求めていますが、それ以外については、自分が男性であった場合、このようなことを大切にしていたかったと思うからです。
金銭的なものも含めたDVをしない、浮気をしない、女性を子どもを産むための道具と思っていない、借金がなく金銭感覚など常識的であるなどのことは、当たり前のこととして記載いたしておりません。
遠距離なら自分を偽った状態が長く成立するんじゃないか、みたいなのはダメですよ。

自分のことを言っているんじゃないか、自分が大切にしてきたものをわかってくれているんじゃないかというような方で、こんな私に「ブレないところがいい」「(いい意味で)ツボに入った」と、マイナスとは逆の印象をもってくださっている方はいらっしゃいませんでしょうか…。そのような方で、今の自分に足りないものはパートナーだけだという人はいませんか。
交流をしていくなかで合わないと思うことがお互いに起こってしまうかもしれないことは当然なので、それはもちろん大丈夫です(ひやかしや、騙してやろうという気持ちのことを大丈夫だと言っているのではありません)。当たり前ですが、ご連絡をいただくことで末長いやり取りを保証する、というお話ではありません。


※インターネットで知り合う場合は、「相手の見た目は気にしない」と初めから言ってあげられる器量の持ち主ではありません。それにマンガの絵に出てくるような恋をすることで、自分のこれまでの悲しかったことが満たされていく気持ちになるんです。
たたずまいでも、髪型でも、ファッションセンスでも何か一つでいいから、自分の輝けるところを見つけて伸ばしていてほしいと思います。

さらに、知り合いからは「宝くじにでも当たるようなものだ」とよく叱られてしまうのですが、
LINEをやっていない人だといいな、
私と生活のスタイルが大きく違ってしまうので、その他のSNSTwitterFacebookInstagramなど)も、仕事の宣伝以外でやっていない人だと合うんじゃないかな、
そして交遊関係が狭く深くな方だといいな、
5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)等に書き込みをしていない人だといいな
という希望があり、

お酒をあまり飲まない人だといいな、
ゲーム(特にオンラインゲームや課金ゲーム)をやりすぎない人だといいな
とも思っています(お酒をぜんぜん飲まないという方、大人になってからゲームをぜんぜんしないという方は、たいへんリラックスできます)。

苦手なものは、ホラー作品のホラーシーン、耳以外の場所へのピアス、格闘技観戦などです。

好きなことは、歌うことです。


20代の前半から介護に携わっていたぶん、青春のような恋愛を楽しんで失った時間を取り戻してみたいという夢があり、30代前半である自分と近い方、もしくは大学を卒業された20代中ごろ~30代の方が適しているのかな?と思います。




こんなに相手に希望を挙げて、あなたはどうなの?と思われる方が大勢いらっしゃると思います。
習いごとが一緒だったかつての友人からは、「君が恋愛相手に希望の条件をもっていることは、どんな子か知らなければ『はぁ?!』と思うけれど、君本人を知っていれば納得ができる」「正直、釣り合わないから恋愛対象にするのをやめようと感じて友達になった(秀でたものをいくつも持った、素敵な友人でした)。結婚できないんじゃないかなんてとんでもない、結婚を諦めるなんて勿体なさすぎる、お世辞抜きで自信を持っていていいよ」と言われたことがあります(嬉しくてよく覚えていたので、できる限りですが再現できました)。
しかし、私の文章から受ける印象を見て気になってくださる方でなくては、やはりうまくいきません。
ですが私はそれらのことを、人生の武器にしながら生きてくることができませんでした。どこかでそれを、くすぶっている、もっと外の世界に出ていって社会に認めてもらうべきなのではないかと感じる出来事も多く、せっかくの長所を持て余しているようで、苦しんでいました。

私がその方のことを好きになれた場合、お返しできるものは、その方と幸せになるために、一生懸命がんばることです。
それは、ドレイのように家事をするという意味ではありません。お互いに、互いの役割を尊重し合っていきたいと思っています。
自分にできることなら人一倍がんばってしまいます。
恋愛感情や愛情をしっかりと言葉にして伝えます。

「自分が上京するまでは遠距離で、メールによる文通で支え合える関係を続けて欲しい…だなんて、そんなチートな話があるか」と思う男性も大勢いるとは思います。そう思われた方からはコンタクトがないとしても、自分なりに、そのことに対する考えがあっての行動でした。
メール文通や通話を恋愛の醍醐味のように感じてくださる、離れていても、日々のコミュニケーションがとれるパートナーがいさえすればいい、という考えの方がこの世には一人もいないと言いきって諦めることは、どうしてもできませんでした。
そして私は、メールや通話では全力で相手の方を支えます。
また、今の生活から開放されたあとは抱えるものがなくなるので、一から人生を再スタートすることになり、そのときに二人で自由に人生を設計していくことができます。
私が関東圏に越すには、もうしばらく時間が必要です。
その間は、恋人とお食事をしたり街並みのなかを歩いたりすることが好きなので、新幹線か何かを使うことになりますがたまにデートをしながら、ふだんは通話やメールで、いろいろな話はもちろん価値観の同じところと違うところを確認し合い、違うところがあれば、「それはこういう意味だし、それでもやっていけるね」と話し合っていきたく思っています。

私のしてきた無償の介護というものが大切な誰かと知り合うきっかけになって、その人が私のがんばりを認めてくれたら、それが介護をしてきた私の財産になります。報われて、人生がつながって、逆転のホームランを描くことができます。
例えば漫画やアニメなどで、「かわいそうな女の子のキャラクター」を好きになる傾向があるという方や、サクセスストーリーを自分が起こしていちばん側で見てみたいという方は、いらっしゃいませんでしょうか。

素晴らしい恋愛をし、子どもを授かることを見据えた年齢に結婚をして、協力しながら必ず温かい家庭を築きたい。
親に納得して東京に送り出してもらえるほどの強い力をもった素敵な男性がいらしたら、夢を叶えてください。

私にはもう時間がありません。
「ま、いっか」「めんどくさい」「どうでもいいや」「わかんない」「小さなことは気にしない」が口ぐせの、子どもっぽくしっかりしていない人に、私は興味をもつことはできません。
真剣な気持ちで向き合っていただける方だけ、お願いします。

また、もちろんこの機会に友人をもてたらと思っています。

連絡先は、その次の記事に書いておきます。

2.介護とその孤独につきまして

このブログですが、はじめの、タイトルに「1.」と入っている記事から順番に読みすすめていただくことで、内容を把握していただけるものになっています。
リンクは貼らず恐縮ですが、「1.このブログにつきまして」というタイトルのブログ記事からお目通しくださいますよう、よろしくお願いいたします。


私の、孤立した環境で30代で介護をするくるしさのことを書きます。
常識のある下心のないきちんとされた人に、この状況に一大事だと感じて、社会とのつながりになってほしいんです。
その方に、依存されてしまったと恐怖を感じさせることがないよう、つらい気持ちなどを聞いていただくことがもしあれば、どこまでが適切でどこからが依存なのか、最大限の注意をはらいます。
ほかのご迷惑もおかけしないように、気を引きしめます。
どなたか、お願いします。
だけど正確には「どなたか」でいいのではなくて、世の中には、私には理解の至らない、想像もつかない、「よくない意味で」変わった人がいます。そういった人とのつながりはもつわけにはいかないんです。お願いします。(※そうでない方であっても、ご連絡をとることを差し控えさせていただく場合があります)

つらい気持ちをインターネット上で吐露することや、そもそも、ネット上に何かを書くことを避けている人間ですので、助けになってくれる人を見つける目的で、勇気を出して書きます。
ですが私は個人情報を人一倍大切にしており、それをできる限り守れるよう、最低限のことを書きます。そのため、敢えて事情や理由を詳しくは書いておらず、言葉をぼやかしている箇所もあることをご了承ください。

私は若いときに、「この求人が今の環境でできるなかでいちばんおもしろそうだ」という理由で就いていた仕事を介護離職し、10年ほど父の介護をしています。30代前半の女性です。
(年齢を「前半」としているのは、個人的な要素がはっきりとするのを少しでも避けるためです。また、評価の厳しい知り合いからは、「年齢が与えるイメージとかけ離れた印象があるから、年齢は後から言ったほうがいい」と念を押して言われました。私としては信頼関係を築きたい相手に年齢を先に伝えるべきだと思っているのですが、せっかくもらった助言なので、ついでではありますが、聞き入れることにいたします。)
なぜ10年もかかりきりになってしまっているのか、理由がありました。「ここで介護を卒業できる」とずっと思ってきたタイミングで、事態が変わって、関わる期間が伸びてしまったためでした。私一人が何年も我慢をすれば解決する状態で、一人きりで抱え込みました。その一年目は、一年間ほとんど誰とも連絡を取らない年となりました。でも、連絡を取れそうだと感じる人があまりいなかっただけでほんとうは取りたかったので、孤独で仕方ありませんでした。
ですが「東京が好きで東京に行きたい」という一心で、解決させることを諦めた日はありませんでした。胸がくるしむなか、周りの家族の楽しそうな笑い声が聞こえてくるなか、涙をためながら「この状況をなんとかして、絶対に東京に行くんだ」「つらい、つらい」「がんばれ、がんばれ」と自分を励まし続けていました。
その間、ひたすら家のことに時間を割くことが必要であり、家族の要望もあって、アルバイトをできる状態ではありませんでした(短期のものをやってみて、本末転倒だと言われ次はやめようということになりました)。

親のお世話をするなかでつらかったことをここに書くのは、家族もそれを望まないと思いますので差し控えておくのですが、少なくない苦労がありました。認知症の症状は、両親ともありません。
日本語としておかしな表現ですが、今は、限界の限界の限界の限界の、限界くらいのところです。


それ以外のことやいちばん大きな悩みとしては、そのうちに社会から孤立していき、ペットも飼うことはできない環境で、地獄だと感じるような孤独に24時間といっていいくらいくるしむことになりました。
孤独で、起きた直後には「くるしい」と声を出し、眠る直前までや、眠っている間もくるしんでいる感覚がありました。ですが今の生活で親しい知り合いを作れる方法には限りがあり、この程度の症状で済んだことが自分でも不思議なくらい、修行のような時間を耐えぬいていました。
ネットが苦手で、自らの意志でLINEなどのSNSをやっていないので、自業自得と言われてしまえばそれまでかもしれません。 

ほとんどの方が善意で行動をしてくださる中、こういったことを書くのは誠に恐縮ですが、過去の苦い経験に基づいてお願いをします。「人の不幸は蜜の味」と近づかれることは、おやめください。


今は、このまま出産や結婚ができなくなる恐怖を、結婚や出産を望む者としてそれを叶えられず一人ぼっちで何十年と過ごす恐怖を、毎分毎秒と味わっています。
「もしこのまま介護から逃れることができないようなことがあれば、結婚もできず、自分の人生を使い捨ての品のように消耗するだけになってしまう。未来がなくて、まるでゆるやかな自殺だ」と感じております。
見返りを求めていたわけでは決してありませんが、がんばってもがんばっても、報酬を得られることはありません。やればやるほど、「やらなければいいだけなのに」と、介護の現場を知らない友人やきょうだいは離れていきました。人には何度も説明をしてきましたが、私が今ここでがんばっているのは、上京したあと実家に戻ることのないように、自分の新しい生活に専念できるようにするために、ということがあります。


「◯◯ちゃん(私のことです)の結婚までは」を、私が小さなときからの口ぐせのように長生きをしてくれようとした祖父や、「おばあちゃんといちばんお喋りしてくれてありがとう」「必ずいい人に巡り会えるからね」と電話で言ってくれたのちに他界した祖母の思いに、私はまだ報いることができておりません。
「私に結婚なんてもうムリに決まってる」とここで弱音をはいたら、祖父母を悲しませてしまいます。

周りの同年代が自分の作り上げた家庭や子どもに向き合って、人生を前へ前へと進めているときに、自分は自分の人生を進めるためでなく、スタートラインに立つためにがんばり続けないといけないということが、とてつもなくつらかったです。
この年齢で、「自分が生み出したもの」ではなく、「自分を生み出したもの」にかかりきりになってしまうことは、親孝行とはすでに別次元の話になっていて、自然の摂理に反してしまっておりました。
未来があるはずの若者が、老いゆくもののために犠牲になるという社会問題を、家族のなかで一人体現し続けて、とてもつらかったです。どなたかこれがたいへんな問題であるということを感じてわかってくださる方は、いらっしゃいませんか。

そして自分が、私の抱えている危機を感じ取っていただきたい(外の世界の楽しさを友人と共有することのない生活のおそろしさを感じていただきたい)のがこの部分なのですが、
「この5年間で、一人で2度東京に行った以外は、プライベートで人に会ったのは6日間だけ」という、壮絶な体験を現在進行でしております。
もともとは、観光や外食にも興味が深い人間でした。
人に会ったのはどれも、昔の知り合いや、学生時代にお手紙をくれた生徒会長さんなどに助けを求めるための食事でした。でも、「見た目が維持できているのがすごい」と好意をもたれてしまう、希死念慮が頭をよぎりながらも生きていることを受け付けられないという(希死念慮否定派の)人生観の方だった、私に失言癖があり、助けてもらう側として理想的な返答ができなかった、相手の方に余裕がとてもなかったなどと、うまくいきませんでした。
回数としては、遊びに行こうと思えばもっともっと出かけることができますが、必死で、当時の私にはこの生き方しかできませんでした。
スーパーへの買い出しは日常的に行くため、そのときに若い夫婦や気心の知れたようなカップルを見かけると、この人たちがパートナーをもつ安心感を得て明るい世界で生きている何年もの間、私は暗闇の中で一人ひたすらもがいていたのだということを実感しました。芸能人の結婚や出産のニュースで、たくさんの幸せを見送りました。
だからせめて、今から変えていきたい。「この人は何をくどくど言っているんだ」「うだうだ言ってないでさっさと上京しろ!」ではなく、私が今、ここにとどまらないといけないということに理解を示したうえで、「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか」「よく声をあげましたね」と思ってくれるような人たちと、社会との結びつきを持っていきたい(ほとんどの方は頭をよぎってもいないと思うのですが、実際に二人きりで会えますよという意味ではありません)。

今の生活に終わりを見つけるために、父を母に任せられるよう、準備をしています。
今は、1つ前のブログ記事で書いたように関東ではないところに住んでおりますが、私は東京が大きな理由もなく大好きで、上京(東京まですぐに行ける、神奈川、埼玉、千葉などの場所でも)して自分の人生を再スタートさせることを目的にやってきました。
ですが非常に難航しており、すぐにとはいきません。
自分が今やることのある都道府県と、自分がそのあとに住みたい場所(東京)とが違うことで、今いる場所に友人をつくることも思いたたなければ、近距離恋愛もできないという、普通ではない状態を味わいました。
そこで、東京かその周辺に、今から支えあっていける特定の人がほしいということを、次のブログ記事に書いています。

「今自分は東京にいないから、介護をしている間は恋愛を諦める」ということは、介護をがんばってきたからこそ、人からそれを望むのは順番違いの「チート行為」だと思われようとも、私にはできませんでした。
自分で言うようなことではなくとも、あやしい人間ではないことを知ってもらうためにも書いておくのですが、

要介護の認定を更新していたころ、介護の調査員の女性から「いったいどんな教育をしたらこんなお嬢さんが育ったのか、お嬢さんのことを個人的に聞いてみたいのですが」と言っていただいたことがありました。そのような言葉をかけていただけた出来事が、いくつかありました。

外の世界での役割はありませんが、これが、私のお仕事でした。

私に興味をもってくださる方のなかにも、恐怖心や不安感があると思います。

つい最近だと、上京の下調べで立ち寄ったある場所の、受付のご年配の女性に「その見た目とその性格で、どこに行っても好かれるでしょう?」と言っていただくことができました。夢のような評価をいただけて、外の世界にはやっぱりこんなにいいことも待っているんだと思いました。

就職先での勤務が始まるまでの数週間の間でいいからと言われ、大きなスーパーでレジ打ちのアルバイトをしたときは、そのわずかな期間に「ファンになったので、レジを選んできました!!」と笑顔で言ってくださる、若い主婦の方がいてくださいました。
謙虚になれておらず恐縮ですが、このようなエピソードを、複数抱えております。職業として人前にでることは大丈夫なので、親のしがらみがなければ、自由な人生を送ることができれば、もっともっと、この力を試せる人生を送ってみたかったです。


人づきあいについては、私自身に「こだわりが強い」「失言が多い」などの欠点があるのでは、と思うようにもなりました。
ですが、そのこだわりは、
「記憶を失ったり、忘れ物をしたりするようなお酒の飲み方をする人とは、自分の個人情報が入ったケータイを忘れられては困るし、友人であっても付き合えない」
などと、一般社会のなかでも賛同を得られるものもあります。


自衛を徹底するため、念を押してメッセージを残します。
コンタクトがあった中で、身の危険などの違和感を感じれば、24時間体制で第三者(今回のブログ運営を見守ってくれている、頼もしい知人など)と連携をとり情報を共有して、はたらきかけてもらいます。
本来であれば、誰かからの連絡を人に見せたり、人のことを人に勝手に話すことはしてはならないことですが、そのような場合は、今回ご連絡をくださった方の中からも適任の方に、「ほかにこんな人がいたのですが」とご報告をします。
通報をします。
それに私は、こちらの第三者を必要とするような方たちに関わるようなお人好しではありません。お立ち去りください。

1.このブログにつきまして

伝えたいことを伝えようとしてしまって、このブログの文章は、全体的に冗長になってしまっております。それがきつくなってしまうこともあるかと思うのですが、読んでいて大丈夫そうだったら、読んでいってください。



自分はSNSもやっておらず、初めてブログをします。誰にでも親しみを込めて呼んでもらえる願いを込めて、名前を「はな」とします。

このブログを立ち上げる勇気を出すまでに、「自分は人に助けを求めていい立場なのか」「甘えではないか」と苦しみながら悩み抜き、今日まで半年以上もの時間がかかりました。
一人でこんなにがんばったんだからもう人に助けを求めていい、「人様にご迷惑をおかけするのはいけないことだ」というプライドは棄てるんだ、溝に落ちた猫が鳴き声をあげるように、自分はここにいて困っているということを声をあげて知ってもらうんだ、それはいけないことじゃないんだと、何度も言い聞かせました。


もう少し、自分への言い聞かせの話を続けます。
ヤフーニュースで若い人の自殺のニュースが出たときに、コメント欄で
「そんなにつらいなら助けてやりたかった」
「自分に相談してくれれば……」
というコメントが多くついているのを見ました。
そして介護自殺のニュースでは、
「明日は我が身だ。こんな人たちを救済する術こそ必要なのではないか」
というコメントを多く見ました。
また、(ネタバレになってしまうのでタイトルは伏せますが、)戦中と戦後を舞台に描いたあるアニメ映画で、「主人公は助かるチャンスを逃し続けてしまったけれど、どこかで周囲に助けを求めればよかったんだ」という感想を抱きました。

そういった、他者を助ける気持ちやそんな余裕のある人とつながりをもつにはどうしたらいいかを考えたら、私にはこれしかありませんでした。この方法が、私には社会とつながりをどうにかやっともてる、SOSを発信できる、大切な窓口でした。
私は今、しんでしまいたいと思うほどにつらいです。
若いときから父の介護をするなかで、辛抱をし続け、そして、孤立し孤独になってしまったからです。
ある時期からは、家族の一人の強い希望で、要介護の認定を取ることと、ケアマネージャーさんをつけることをやめてしまいました(社会から孤立していることがうかがえる記載は、そこにつけ込もうとする人から狙われやすくなってしまうと思いますが、犯罪に巻き込まれるつもりはありません)。
かといって、私が母に父を任せてすぐに家を出るということができない事情があります。

たいへん暗くなってしまっている私が一瞬で元気に明るくなり、本来の笑い上戸の性格に戻ることができ、この状況を解決もできる方法があることを、私は知っています。人を愛することです。無条件にではなく、私にとってとびきり素敵な男性と、結婚に結びついていると実感のできる恋をして、家族にも立派な男性だと安心をしてもらいながら介護の引き継ぎを進め、実家を出ることです。

今は東京から新幹線を使うような距離の実家におりますが、
介護の問題が片付き次第、東京が好きだという理由で東京かその周辺に移住することをずっとずっと、このつらい生活のモチベーションにして生きてきました。東京の土地勘ならありますが、「向こうに婚約者がいる訳でもないのに」と、家族から快く送り出してもらうことができません。私自身も、向こうに着いたら恋人が待ってくれている訳ではない心細さがあります。そこで、

①今からまめに連絡を取り合って信頼関係を深めていける、心のつながりや、心の支えという言葉を好まれるたった一人の誠実な方が、東京近辺に見つかればと思っております。

②また、真剣に接してくださって味方になってくださる方を全国に探しております。
そのことと、友人をほしいと思うことにどんな違いがあるのかよくわからないのですが、30代のうちに、自分のこの事情を知ってくれている友人をたくさん作っておきたい気持ちもあります。

いずれも、女性と何でもいいから交流を持ちたいという男性のことは当然含まれませんので、下心のある方はご連絡をしないでください。
先まわりして申し上げますが、「東京で泊めてくれる人」を探しているわけがありません。

また、
③このブログが多くの人に気がついてもらえるよう、リンクを貼ってくださるという方を探しているのですが、閲覧数の多いブログを持っているという方にお願いをすれば、念願叶って解決をした際の削除依頼が、私の力でも安心して実現できるほどシンプルになるのかな…とも考えています。お手数ですがまずは必ず、私にメールを送ってくださり、お話し合いをしてくださることをお願いいたしております。

①の件につきましては、3つめのブログ記事(ブログエントリー)にて詳細な考えや気持ちを記載しております。

③の、リンクの件につきましては、5つめのブログ記事にて詳細を記載しております。内容に賛同していただけるかどうか、ほかのページと合わせまして、ご確認のほどよろしくお願いいたします。

②の、味方がほしいという件につきましてらは、私は、このように考えております。

・介護のことや家を抜け出すにあたって、何を助けてもらったらいいのかもわからない
・というのも、自分の家の問題なので自分でやらないといけないことばかりで、問題に介入してもらうことは難しく、アドバイスをもらってもきっと知識をつけるだけになってしまって、言われるとおりには決してできなくて申し訳ない(そのため、「どうしたらいいでしょうか?」というアドバイスを求めているわけではないんです)
・けっきょく、自分のことを勇気をだして話すだけになってしまったようだと感じることも少しつらい
・お説教や、アドバイスずきさんからの過激なアドバイス、私が思いどおりに行動(何もかも置いてすぐに上京)しないことで「愚かだ」「呆れた」「もう勝手にしな」「貴重な時間を割いて何回も何回も言ってあげてるのに」「で、だから?」「それはもう聞きました」「頑固だ」とお怒りになるなど、そのような展開になってつらい出来事を増やしてしまっては困る、と思っていることもあります。(すぐに上京できないことについては、それがどのような事情であっても、ご理解をいただくことが必要になってきてしまいます)


・このようなことから、「人脈をもつこと」「人との絆をもつこと」こそが救いになると考えました



そんな自分でも、この状況やこんなブログを立ち上げることはただごとではない、この子をここで放っておいてはいけないと、ただならないSOSを感じ取ってくださった方はいませんか…?

そして、安心していただきたいことがあるのですが、私は今の段階で実際にしんでしまうことの可能性は低くなっており、これはそのようなことの予告をするものではありません。
人をいたずらに心配させて構ってもらうような「めんどくさい人」になってはいけないとも、ここまできて現状の申告を控えめにしてしまってはいけないとも思っておりますので、事実をありのままに申し上げます。
この10年間の間だけでも「しにたい」という言葉が何万回と、きっと10万回に及ぶ回数ほど頭をよぎりましたが、いたいものやくるしいものが苦手で、頭のなかでシュミレーションをしてみても(人様にご迷惑を極力おかけしない方法ではあります)、しっかりとした想像がつかず、そういったことができない人間なのではないかなと思っているためです。また、どんなにどん底にいるときも、自分に数少ない長所があることを知っており、それが「(こんな長所があるのに)もったいないのではないか、もしかしたら人生でいいことをまだ起こせるのではないか」と自分のなかでひっかかるためです。ほんとうはしてはいけないことだ、とてつもなく悲しいことなんだという認識も当然あります。
でもそれなら、しにたいと思いながら生きるしかありません。それはやはりしぬほどつらいことです。それなら、しにたい原因をつきとめて、解消をするしかありません。解消するには、どんなに滑稽でも、不安で腰が重たくても、雲をつかむような話でも、人と違っても、助けを乞うことができる権利や責任やチャンスを放棄せず、こうやって行動を起こすしかないと思いました。
だけど、ブログ発信のことを抜きにして考えると、「あれ、やっぱりこれ、しぬしかないよなぁ、しぬしかないんじゃないか。こわいだろうな、その瞬間後悔するだろうなぁ、ほんとうにこわいな。何か悪いことしたわけじゃないのに、がむしゃらにがんばってきただけなのに、どうしてこんなつらい思いをしなくちゃならないんだろう。でも今のいろんなことが片付いてそのときがきたら、やらなくちゃいけないんじゃないか。参ったなぁ…」と感じてしまうこともあります。

「自殺をするやつはバカなやつだ」というご意見は、インターネット上で拝見したことがあります。自傷癖はまったくありません。不眠や食欲の増減や過呼吸などの症状や、服用薬はありません。


私のポケットのなかに、今の私にできる、たった一つの切り札があることに気がつきました。
インターネットにつながっている、ほとんど使われていないスマホがありました。それを使って、今の生活の中では本来出会うはずのなかった人たちにSOS発信をすることができるかもしれない。このままでは人生のハンデになってしまう、一人で抱えこんで介護にかけた壮絶な孤独体験や無償の奉仕の時間をもうこの際ひっさげて、「なんて事態だ」と共感をして「この人を放っておけない」と感情移入してくださった方に私の味方に、そして理解者になっていただくことで、人生の財産にかえることでした。
私だけでなくその方も行動を起こしてくださることによって、手もとにあったことに気がついたジョーカーのカードが、初めて効力をもちます。
もうインターネットの中の母数に頼る以外、私には思いつきません。
介護の相談窓口にも、相談を何度としてきました。
もう頼るものがありません。
「つらいよ、くるしいよ。ほんとうに限界だ。でも私が死にたいと思うのは生きたいと思うことの裏返しで、ほんとうは死にたいんじゃなくて、生きたいんだ。あとちょっとがんばれ、あそこまで逃げ切ればきっといいことがある、救われる、もしダメだったらどうしよう、こわいけど、悪いひとがたくさんいる世の中にはいい人もいる、その誰かが気がついてくれる、きっと、ぜったいに、私の勝ちだ!」という思いで、最後のアップロードのボタンを押します。

今見てくださっているこのページは、パソコンやケータイの中の見慣れた文字の形をしていても、私には外の世界とつながっていられる蜘蛛の糸のような存在で、ただならないSOSなんです…。

だけどそこは私の自己責任ですし、「見てしまったからには反応するしかなくなったじゃないか。知らない人なのに」と思っていただく必要は一切ありません(義務感でご連絡をいただいちゃうと、今回の趣旨と異なってしまいますので、私も困っちゃいます)。「そういえば昔こんなことがあってね」と人にお話をされることなく、忘れてください。その方たちの夢見がわるくなってしまわないようにするためにも、やはり回避して乗り越えられるように善処します。

これほど真剣に悩んだ気持ちに免じて、自分のこのブログを見て例え誰かと一緒に笑いたい、批判を共有したいという気持ちになっても、どうかブログ内の文章をコピペして晒すということ(スクリーンショット等も)はご勘弁ください。「このブログ、やばくない?」と、ネット上で共有しようとなさらないでください。「消えたい」という気持ちは大勢の人に少なからずあるもので、事件性は、ありません。
それには、いつかすべてが解決して幸せになれたら、人生がさまざまな可能性にあふれた道につながるよう、私の意思ですべてを削除できるようにしておきたい、という理由もあります。そのため、それら(中傷、晒し)以外の好意的な理由での、コピペやスクリーンショットでの記録を残しておくことも、徹底してご遠慮いただきたくお願いいたします。

「今日、こんな変わったブログを見ちゃった」とお知り合いの方にお話しされることも、その方にまで、私の「インターネット上に自分のことを書かれたくない」という気持ちが伝わるとは限らないため、お一人で抱え込ませてしまいすみませんが、お喋りは控えていただければ幸いです。


そして、今回せっかく奮起したことが、縁を望んでいない人とつながる手段になってしまっては、元も子もありません。
私を心の弱っている人物や、真面目な者が損をする生き方をしている者と見て、そこに付け込もうとする人。そうでなくても遊び目的や気まぐれ、軽い気持ちで関わろうとする男性。
宗教やマルチ商法、投資などの勧誘を目的にしている方。
犯罪のターゲットを探している者。
なんだコイツ、中傷してやれなどと思っている人。
そういった人から自分を守らなければなりません。
そういったものに関わるつもりは一切ありません。ここでお引き返しください。