良い人がいたら助けてください

自分の気持ちをブログ名にしましたが、どうしたら自分が満ち足りた気持ちで生きていけるようになるのかを明記し、このような方に助けてほしいという具体的な希望も挙げております。不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。ブログ名のとおり一度読んでしまえば後味のいいものではないのですが、私としては、そこは気にして過ごしてくださったり「読んだから何かしなきゃ」と思って頂いたりする必要はありません。ご安心くださいね。ネットを楽しまれているところ急にリアルな重い話が目に入ってしまうので、びっくりさせてしまうかもしれません。

2.介護とその孤独につきまして

このブログですが、はじめの、タイトルに「1.」と入っている記事から順番に読みすすめていただくことで、内容を把握していただけるものになっています。
リンクは貼らず恐縮ですが、「1.このブログにつきまして」というタイトルのブログ記事からお目通しくださいますよう、よろしくお願いいたします。


私の、孤立した環境で30代で介護をするくるしさのことを書きます。
常識のある下心のないきちんとされた人に、この状況に一大事だと感じて、社会とのつながりになってほしいんです。
その方に、依存されてしまったと恐怖を感じさせることがないよう、つらい気持ちなどを聞いていただくことがもしあれば、どこまでが適切でどこからが依存なのか、最大限の注意をはらいます。
ほかのご迷惑もおかけしないように、気を引きしめます。
どなたか、お願いします。
だけど正確には「どなたか」でいいのではなくて、世の中には、私には理解の至らない、想像もつかない、「よくない意味で」変わった人がいます。そういった人とのつながりはもつわけにはいかないんです。お願いします。(※そうでない方であっても、ご連絡をとることを差し控えさせていただく場合があります)

つらい気持ちをインターネット上で吐露することや、そもそも、ネット上に何かを書くことを避けている人間ですので、助けになってくれる人を見つける目的で、勇気を出して書きます。
ですが私は個人情報を人一倍大切にしており、それをできる限り守れるよう、最低限のことを書きます。そのため、敢えて事情や理由を詳しくは書いておらず、言葉をぼやかしている箇所もあることをご了承ください。

私は若いときに、「この求人が今の環境でできるなかでいちばんおもしろそうだ」という理由で就いていた仕事を介護離職し、10年ほど父の介護をしています。30代前半の女性です。
(年齢を「前半」としているのは、個人的な要素がはっきりとするのを少しでも避けるためです。また、評価の厳しい知り合いからは、「年齢が与えるイメージとかけ離れた印象があるから、年齢は後から言ったほうがいい」と念を押して言われました。私としては信頼関係を築きたい相手に年齢を先に伝えるべきだと思っているのですが、せっかくもらった助言なので、ついでではありますが、聞き入れることにいたします。)
なぜ10年もかかりきりになってしまっているのか、理由がありました。「ここで介護を卒業できる」とずっと思ってきたタイミングで、事態が変わって、関わる期間が伸びてしまったためでした。私一人が何年も我慢をすれば解決する状態で、一人きりで抱え込みました。その一年目は、一年間ほとんど誰とも連絡を取らない年となりました。でも、連絡を取れそうだと感じる人があまりいなかっただけでほんとうは取りたかったので、孤独で仕方ありませんでした。
ですが「東京が好きで東京に行きたい」という一心で、解決させることを諦めた日はありませんでした。胸がくるしむなか、周りの家族の楽しそうな笑い声が聞こえてくるなか、涙をためながら「この状況をなんとかして、絶対に東京に行くんだ」「つらい、つらい」「がんばれ、がんばれ」と自分を励まし続けていました。
その間、ひたすら家のことに時間を割くことが必要であり、家族の要望もあって、アルバイトをできる状態ではありませんでした(短期のものをやってみて、本末転倒だと言われ次はやめようということになりました)。

親のお世話をするなかでつらかったことをここに書くのは、家族もそれを望まないと思いますので差し控えておくのですが、少なくない苦労がありました。認知症の症状は、両親ともありません。
日本語としておかしな表現ですが、今は、限界の限界の限界の限界の、限界くらいのところです。


それ以外のことやいちばん大きな悩みとしては、そのうちに社会から孤立していき、ペットも飼うことはできない環境で、地獄だと感じるような孤独に24時間といっていいくらいくるしむことになりました。
孤独で、起きた直後には「くるしい」と声を出し、眠る直前までや、眠っている間もくるしんでいる感覚がありました。ですが今の生活で親しい知り合いを作れる方法には限りがあり、この程度の症状で済んだことが自分でも不思議なくらい、修行のような時間を耐えぬいていました。
ネットが苦手で、自らの意志でLINEなどのSNSをやっていないので、自業自得と言われてしまえばそれまでかもしれません。 

ほとんどの方が善意で行動をしてくださる中、こういったことを書くのは誠に恐縮ですが、過去の苦い経験に基づいてお願いをします。「人の不幸は蜜の味」と近づかれることは、おやめください。


今は、このまま出産や結婚ができなくなる恐怖を、結婚や出産を望む者としてそれを叶えられず一人ぼっちで何十年と過ごす恐怖を、毎分毎秒と味わっています。
「もしこのまま介護から逃れることができないようなことがあれば、結婚もできず、自分の人生を使い捨ての品のように消耗するだけになってしまう。未来がなくて、まるでゆるやかな自殺だ」と感じております。
見返りを求めていたわけでは決してありませんが、がんばってもがんばっても、報酬を得られることはありません。やればやるほど、「やらなければいいだけなのに」と、介護の現場を知らない友人やきょうだいは離れていきました。人には何度も説明をしてきましたが、私が今ここでがんばっているのは、上京したあと実家に戻ることのないように、自分の新しい生活に専念できるようにするために、ということがあります。


「◯◯ちゃん(私のことです)の結婚までは」を、私が小さなときからの口ぐせのように長生きをしてくれようとした祖父や、「おばあちゃんといちばんお喋りしてくれてありがとう」「必ずいい人に巡り会えるからね」と電話で言ってくれたのちに他界した祖母の思いに、私はまだ報いることができておりません。
「私に結婚なんてもうムリに決まってる」とここで弱音をはいたら、祖父母を悲しませてしまいます。

周りの同年代が自分の作り上げた家庭や子どもに向き合って、人生を前へ前へと進めているときに、自分は自分の人生を進めるためでなく、スタートラインに立つためにがんばり続けないといけないということが、とてつもなくつらかったです。
この年齢で、「自分が生み出したもの」ではなく、「自分を生み出したもの」にかかりきりになってしまうことは、親孝行とはすでに別次元の話になっていて、自然の摂理に反してしまっておりました。
未来があるはずの若者が、老いゆくもののために犠牲になるという社会問題を、家族のなかで一人体現し続けて、とてもつらかったです。どなたかこれがたいへんな問題であるということを感じてわかってくださる方は、いらっしゃいませんか。

そして自分が、私の抱えている危機を感じ取っていただきたい(外の世界の楽しさを友人と共有することのない生活のおそろしさを感じていただきたい)のがこの部分なのですが、
「この5年間で、一人で2度東京に行った以外は、プライベートで人に会ったのは6日間だけ」という、壮絶な体験を現在進行でしております。
もともとは、観光や外食にも興味が深い人間でした。
人に会ったのはどれも、昔の知り合いや、学生時代にお手紙をくれた生徒会長さんなどに助けを求めるための食事でした。でも、「見た目が維持できているのがすごい」と好意をもたれてしまう、希死念慮が頭をよぎりながらも生きていることを受け付けられないという(希死念慮否定派の)人生観の方だった、私に失言癖があり、助けてもらう側として理想的な返答ができなかった、相手の方に余裕がとてもなかったなどと、うまくいきませんでした。
回数としては、遊びに行こうと思えばもっともっと出かけることができますが、必死で、当時の私にはこの生き方しかできませんでした。
スーパーへの買い出しは日常的に行くため、そのときに若い夫婦や気心の知れたようなカップルを見かけると、この人たちがパートナーをもつ安心感を得て明るい世界で生きている何年もの間、私は暗闇の中で一人ひたすらもがいていたのだということを実感しました。芸能人の結婚や出産のニュースで、たくさんの幸せを見送りました。
だからせめて、今から変えていきたい。「この人は何をくどくど言っているんだ」「うだうだ言ってないでさっさと上京しろ!」ではなく、私が今、ここにとどまらないといけないということに理解を示したうえで、「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか」「よく声をあげましたね」と思ってくれるような人たちと、社会との結びつきを持っていきたい(ほとんどの方は頭をよぎってもいないと思うのですが、実際に二人きりで会えますよという意味ではありません)。

今の生活に終わりを見つけるために、父を母に任せられるよう、準備をしています。
今は、1つ前のブログ記事で書いたように関東ではないところに住んでおりますが、私は東京が大きな理由もなく大好きで、上京(東京まですぐに行ける、神奈川、埼玉、千葉などの場所でも)して自分の人生を再スタートさせることを目的にやってきました。
ですが非常に難航しており、すぐにとはいきません。
自分が今やることのある都道府県と、自分がそのあとに住みたい場所(東京)とが違うことで、今いる場所に友人をつくることも思いたたなければ、近距離恋愛もできないという、普通ではない状態を味わいました。
そこで、東京かその周辺に、今から支えあっていける特定の人がほしいということを、次のブログ記事に書いています。

「今自分は東京にいないから、介護をしている間は恋愛を諦める」ということは、介護をがんばってきたからこそ、人からそれを望むのは順番違いの「チート行為」だと思われようとも、私にはできませんでした。
自分で言うようなことではなくとも、あやしい人間ではないことを知ってもらうためにも書いておくのですが、

要介護の認定を更新していたころ、介護の調査員の女性から「いったいどんな教育をしたらこんなお嬢さんが育ったのか、お嬢さんのことを個人的に聞いてみたいのですが」と言っていただいたことがありました。そのような言葉をかけていただけた出来事が、いくつかありました。

外の世界での役割はありませんが、これが、私のお仕事でした。

私に興味をもってくださる方のなかにも、恐怖心や不安感があると思います。

つい最近だと、上京の下調べで立ち寄ったある場所の、受付のご年配の女性に「その見た目とその性格で、どこに行っても好かれるでしょう?」と言っていただくことができました。夢のような評価をいただけて、外の世界にはやっぱりこんなにいいことも待っているんだと思いました。

就職先での勤務が始まるまでの数週間の間でいいからと言われ、大きなスーパーでレジ打ちのアルバイトをしたときは、そのわずかな期間に「ファンになったので、レジを選んできました!!」と笑顔で言ってくださる、若い主婦の方がいてくださいました。
謙虚になれておらず恐縮ですが、このようなエピソードを、複数抱えております。職業として人前にでることは大丈夫なので、親のしがらみがなければ、自由な人生を送ることができれば、もっともっと、この力を試せる人生を送ってみたかったです。


人づきあいについては、私自身に「こだわりが強い」「失言が多い」などの欠点があるのでは、と思うようにもなりました。
ですが、そのこだわりは、
「記憶を失ったり、忘れ物をしたりするようなお酒の飲み方をする人とは、自分の個人情報が入ったケータイを忘れられては困るし、友人であっても付き合えない」
などと、一般社会のなかでも賛同を得られるものもあります。


自衛を徹底するため、念を押してメッセージを残します。
コンタクトがあった中で、身の危険などの違和感を感じれば、24時間体制で第三者(今回のブログ運営を見守ってくれている、頼もしい知人など)と連携をとり情報を共有して、はたらきかけてもらいます。
本来であれば、誰かからの連絡を人に見せたり、人のことを人に勝手に話すことはしてはならないことですが、そのような場合は、今回ご連絡をくださった方の中からも適任の方に、「ほかにこんな人がいたのですが」とご報告をします。
通報をします。
それに私は、こちらの第三者を必要とするような方たちに関わるようなお人好しではありません。お立ち去りください。